たまごのかけら

広く、深くを目指す雑食系ブログ

中国を旅してきたよ②

記憶が薄れないうちに、後半も書いてしまいましょう。
 
と言っても毎日の工程や感じたことはノートに逐一メモしてあるので、それと写真を見ながら振り返っているだけなのですが。
 
フィールドワークなので、外でも書きやすいように表紙の厚いものを推奨されて、百均で買ったものです。

 

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この頃、登山で砂埃を吸って痛めたのどが治らず、マスクを常に着用。

 

 
 

4日目(8月29日)

 
地球環境センターというところへ。

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割と新しいきれいな建物です。入り口入ると鮮やかな花が咲き乱れていて、そこから写真を撮るために足止め。

 

 

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まず入った部屋には、早速果物が!!おやつ感覚でつまみます。

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この施設の竣工式に参加し、センター内の広大な敷地を見学。と植林(2本目!)。
 
アブラマツを植えました。記念植樹なので、スコップに赤いリボンが付いていました。
前回同様すでに穴は掘ってあり、今度は平地なので、大したことはなかった…と言いたいところですが、相変わらず体力のないわたしはスコップを持つだけで重くてヘロヘロになっておりました
 

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これで今回のツアーでの植林は最後となりました。
 
少ない!!2本だけかよ!!
 
 
 
でも見学によっていろいろな植物を見ることができました。
 
プルーンとかなってました。
 

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一番印象に残ったのはジャガイモの実。えっこれトマトじゃないの?!と驚かれるかもしれませんが、トマトと同じ種類の植物だなんて知らなかった。
 

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この他にもスイカ畑、キビ、アワなど普段お目にかからない植物の畑がたくさん。
 
 
お昼はセンターの中で食べました。テーブルの上の飲み物はお茶…ではなくビール。
 

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昼間っからビール…ってのは今に始まったことじゃなくて、連日昼夜と食事のたびにビールしか出てこないんです。酒以外には水はぬるい(常温)し、お茶も熱くて、冷たい飲み物をガブガブ飲める機会がほとんどありませんでした。一週間。
 
そんなわけでビールを飲むことにもすっかり慣れてしまいました。あんまり美味しくなかったけど。
喉は乾くのに冷たい飲み物がなさすぎて、ビールでもないよりはマシ。
食後は酔っ払って移動中のバス内は頭痛と戦う睡眠時間と化す。そんな生活でした笑
 
もう当分ビールは飲みたくない!!ほろよいが飲みたいよ!!(合宿で飲んできます)
 
 
 
 
次に向かったのがカササギの森という実験林場。ここも見て回るだけ。でもツアーの偉いおじさまたちがたくさん解説してくださったので、何年前に植えた木なのか、どうやって育ててきたのか、詳細を学ぶことに。
 

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もう15年も前に植えられて立派に成長した木がたくさんありました。わたしが生まれる以前からの活動なので、あ、それはわたし生まれてる、それはまだ生まれてない頃だ、みたいな感じでした笑
 
 
中でも最年少のわたしはおじさんおばさんたちはおろか、社会人になったばかりのまだ若い女性にも、「まだ成人式これからなのか、若いね〜」みたいに言われておりました。
 
20歳って若いんだな!!
 
 
帰り道はWalmartというショッピングセンターでお買い物。とはいえただの大型スーパーでしかなく、お土産になりそうなものは少なかったです。山楂(さんざし)という果物のドライフルーツを買いました。
 
夕食は立ち寄った別のホテルで、羊のしゃぶしゃぶ!!
スープは辛くないのにしてもらい、羊肉があっという間に無くなるほど、美味しかった。羊の肉って、体にもいいみたい。(コップは相変わらずのビール)
 

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5日目(8月30日)

 
本日のメインイベントは、観光と植物園の見学。
 
 
どこに観光に行ったかというと
 
かの有名な雲崗石窟!と、万人坑という日中戦争の悲劇のあった場所。
 
石窟は、正直言ってそんなに代わり映えがしない。わかる人にはわかるんだろうけど、わたしには似たような景色の連続で、暑くて、そこまで見るところが多いわけでもなくて、ふーんって感じ。
 
しかも肝心の石窟にたどり着くまでが長くて、そこの装飾やお寺のような建物の数々が、昔からあるわけではなく、6年前に作ったものだと聞いて、なんだかつまらないなあと思いました。
 

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それよりわたしが伝えたいのは、万人坑。ここでは日本人が戦争中に行った残虐な傀儡政治の記録と、現存する遺骨を見ることができるのです。大同は炭鉱として今でも有数の地であり、当時も日本が炭鉱を不法に占拠し労働者を酷使した事実が文字と写真で壁一面に綴られていました。ガイドブックなどにも載っていなくて、聞いたこともなかったのですが、これは行くべき。
 
日本人向けでもあるため解説は中国語、英語、日本語で書かれており、誰でも容易に理解できます。
 
ぜひとも見て欲しいのがこの周恩来の言葉。
 

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日本の軍国主義によって中国人民は甚大な被害を受けたが、日本人民もまた軍国主義によって被害を受けたのだから、これを教訓にしましょう、という意味らしい。
 
 
 
この客観的な言葉には、かなり勇気づけられたような気分でした。展示を見ているとあまりにも現実の残酷さに悲しくなってくるので。現代に生きるわたしたちのせいではないけれど、今一般市民同士でいがみ合っても仕方ないのだけれど、同じことを繰り返さないためにも歴史はちゃんと学ばなければいけないんだなあと(小並感)
 
 
万人坑の後は、口泉植物園という公園。昔は松やアンズの苗木を育てたり、野菜を育てていたそうなのですが、今はほぼ公園となっていました。
 

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この日の夜は、夜行列車で大同から北京に向かいました。
 
大同駅。

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駅のセキュリティが空港並みで、駅に入るにもパスポートがいるし、ボディチェックされるし
 
中国怖い!!
 
電車は外国らしいドアとホームの高さがあっていない(高い階段を上るタイプ)のプラットホームで、スーツケースを抱えて乗り込むのが一苦労でした。まさに転がり込むという感じ。
 
車内は真っ暗で、三段ベッドで、頭も起こして座れないくらい狭くて、非日常の世界がわくわくするわたしでも少し怖かった…なんだかんだ爆睡していたけど。
 
 

6日目(8月31日)

 
昨晩の11時に夜行に乗り、車掌に切符を見せろと足を叩かれて起きたのが午前4時半すぎ。乗る時も降りる時も暗い…。
 
無事北京に到着しました。
 
 
明け方の北京駅前。

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駅の隣(と言われてバスで10分ほどかかった)のサウナに寄り、シャワーと朝食を済ませてから北京市内の観光。
 
 
故宮、と聞いてピンとこなかったのだけど、紫禁城のことでした。
 

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とにかく人が多い。人、人、人!!
 
玉座の前など写真を撮りたがる人の群れが大きすぎて、押されるし中国人が大声でわめきあってて、あんまり気持ちの良い観光ではなかったかな。
 
 
なおこの時すでにデジカメが壊れており、iPhoneのカメラで撮っているので画質が悪いです…
 
 
バスに乗るまで結構歩いたのだけど、道を歩いてると始終絶えずクラクションがプープーパッパカ鳴らされて、もはや聞くのに慣れてしまうと自分のことでも気がつかなくなってしまいました。中国人だって気にせず平気な顔してるし、クラクションをむやみやたらにならすのは意味ないんじゃないかな…と虚しくなっておりました。クラクションは中国の文化のようなところもあるそうですが。
 
日本に帰ってから道路がとても静かで心穏やかに歩けます、うん
 
 
午後はGEN25周年記念シンポジウムというのに出席しました。
 
通訳付きの日中間の会談っていうものを、初めて見ました。会場は、こんなところ。
 

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末席でひっそりと聞いていました。
 
正直今年初参加のわたしたち大学生には、すごく遠い世界のような感じがして、すごいところですごいことやるんだなあ、としか思えませんでした…。
 
 
 
それより!!本屋に行ったんです。
王府井(ワンフージン)という日本でいう銀座?のようなお店の立ち並ぶところ。夜はホコ天もやってましたし。
 

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サムスンの広告あるわ
 
 
目当ての本はそもそも中国語版が出ているのかもわからず、下調べが足りず買えませんでしたが、小学校の教科書とか売っていて、立ち読みしてきました。漢字にアルファベットで読みが振ってあるのでびっくり。
 
我らは「立ち」読みしてきましたが、現地の子供たちは児童書コーナーの床に座り込み、ときには寝そべって、本を読みふけっていました…笑
 
 
最後の北京のホテルは、高級だと聞いていた割には大したことない部屋。ホテルの一階でした。
 
 

7日日(9月1日)

 
もう最終日、観光した後は空港へ行き、関西組と関東組に分かれ、自由行動が多かったです。
 
最後の観光地は「雍和宮」。ようわきゅう、と読みます。
 
 
お参りに使う線香の束が無料でもらえるため、そこかしこで煙がもくもくと立ち込めていて、線香の匂いが好きではないわたしには人も多いしやめてくれえええって感じ
 
 
でも雍正帝の皇太子時代のお屋敷だということで、緑基調の落ち着いた色合いが、きれいな建物でしたよ。皇帝になった後に黄色が増やされ、緑と黄色が混ざっていました。
 
 
その後はチベット仏教のお寺になっているらしく、ダライ・ラマを迎えた建物なるものもあって、そこに展示されていた上奏文の文字のきれいさに見とれてきました。細い筆で印刷のような整った文字、今時こんな格別な字を書ける人そうそういないだろうなあ…
 
だから科挙には習字の試験もあったのかー
 

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なんと、ここで猫を見かけました!!街を歩いていても放し飼いの犬しか見なかったのに!!
ネコォォォ(←筋金入りの猫好き)
 
 
昼食は空港に着いてから、各自勝手に。この食事代だけは自腹でした笑
 
仲良くなった院生の先輩とともに、ピザハットにありつきました。
ピザよりは冷たいミルクティーが飲めたのが感激でした…!
 
 
ちなみに帰りの機内食はこんな感じ。
行きも帰りもハーゲンダッツが出るなんて、JALすごい。
 

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これで、一週間をざっと振り返りました。ふぅ
 
全体の感想としては、思ったほど植林がなかったこと、楽しみにしていた農村訪問がなくなり、毎日ホテルの食事、快適生活だったことです。
 
もちろん飲み物がビールばっかりとかシャワーに仕切りがなかったりドアノブが取れそうだったり電気切れかかってたりトイレットペーパーないとか色々あったのですが(ボソッ)
 
もっとサバイバルな生活かと思ってました、ということ。中国生活は修行だと言われ、中国が初めてのわたしにとってはある意味修行だったのですが、慣れてしまえば大したことはありませんでした。
 
 
スイカに虫が止まってても全く気にしない、洗面台の水が流れなくてもしょうがないか、道でクラクションがプープーパッパカ鳴ってても気にならない、山のトイレが穴だけでも動じない、ビールしかないならビール飲むか
 
…みたいなタフな人間になりました。いや、もとが軟弱すぎただけなのだけども。
 
 
中国留学に行くと女性は太り、男性は痩せると言われるそうですが、わたしはその例外。とにかく食べ物が口に合わなくて、また痩せました(涙)イギリス行った時は太って帰ってきたのだけど。
 
 
8月はなんだか病気したり1日2食の不健康生活したりサバイバルに行ったりして散々な一ヶ月だったな!!
 
まとめ方がわかんなくなっちゃった
 
中国はまた行きたいかと聞かれたら、うーんどうかなあ、微妙ですけどね。今回はちゃんと楽しかったです。いい経験になりました。
 
 
これに関してまた新しい興味が増えたのですが、その話はまた後日。
 
長々と読んでくださりありがとうございました!

中国を旅してきたよ①

どうもお久しぶりです!!
ブログは放置していたわけではなくて、一週間中国に行っていたからなのです。
 
旅行ではなく、大学のプログラムで、緑の地球ネットワークという団体の植林ツアーに同行してきました。
 
具体的には、北京からバスで5,6時間の大同という都市近郊の山に行って、植林をしたり過去の植林の成果を見てくるというもの。もう25年も活動をしているため、大同にはほとんど木を植える場所が残されておらず、実際は植林というより登山と観光だったのですが。植林という十年単位での活動なので、参加者も最年少のわたし(20歳)を含む大学生から最高齢は85歳まで。人生を生き抜いてきた経験豊富なおじさま方の面白いお話がたくさん聞けました。
 
 
中国は初めてだったので、短期間とはいえ新鮮な景色や驚きでいっぱいの一週間でした。ってことで、中国初めてのわたしが、日本人視点で中国で感じたことをまとめてみたいと思います。
 
(書きたいことがありすぎて、これは要約力が試される気が。)
 
 

1日目(8月26日)

 

朝7:10に集合、羽田から北京空港へ。イギリスで十何時間の飛行機を経験したわたしにとって、中国までの3時間弱のフライトは、正直ものたりない!笑 だって見たい映画やドラマが見きれないんだもの笑
 

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北京空港。とても天井が高くてきれい。
 
入国審査に30分も並んだのは早速中国クオリティーでした。大行列が出来ているのにカウンターに人が増えないのだから。
 
北京から、主要な活動拠点である大同市へ向かいました。バスで5時間ちょっと。高速道路が出来てからだいぶ行きやすくなったそうです。
 
 
 
バス内で出た「お弁当」は、パンとサラダと飲み物。あとひまわりの種の袋詰め。
日本のお弁当を想像しちゃいけないんですね。
 
 

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何もない緑ばかりの景色を通り過ぎること数時間、気がつくと大同市内の街中に。最初は大同南部の、霊丘県という場所。中国は市の次に県が来るんですね。日本と逆です。
 
 
初めて間近に見た中国の道路は、それはもう混み合っていて、車だろうがバイクだろうが自転車だろうがスクーターだろうが、ごちゃごちゃに入り乱れていました。見ているこっちがヒヤヒヤしますよ。
小さい子供連れの親子とかまでヘルメットもかぶらず(誰もかぶってない)平気でバスの真横をバイクで走っているんです。
埃っぽい道端で野菜を売っていたり、荷台に果物を積んだ三輪車が走っていたり、犬が放し飼いにされていたり。
 
街中の細かい様子を見ている限り、まだまだ途上国なんだなあという印象です。
 

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夕方6時すぎにたどり着いたホテルはこちら。外の風が冷たくて、もう寒かったです。
 

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泊まるホテルは結構いいホテルだと聞いていたのですがー
 

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トイレとシャワーの間に仕切りがないよおおおお(涙)これが中国の標準かと思いました(そんなことはありません、多分)。
 
 
夕食はこんな大きな丸テーブル。しかも真ん中の料理が乗った部分、自動で回ってました。取る時に押さえないと勝手に進んじゃう笑
 

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2日目(8月27日)

 
ホテルでの朝食はバイキング。辛いものが苦手なわたしは早速大したものが食べられず。
 
 
今日から活動開始、まずは南天門という山に登ります(登山があるとは聞いていなかった…)。
 
 
バスで登山口?のようなところまで行き、川に沿ってひたすら歩く(軟弱引きこもりなわたし、すでに息切れ)。
 
 
ここから歩き始めます

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後から思えば全然大したことなかったのですが、このツアーの施設であるところの小さな建物につきます。
 
 
そこの裏の茂みをかき分けていったところにある急な斜面で、初めての植林。
でも穴はあらかじめ掘ってあったし、20人くらいで手分けしてやっているのでわたしが関わったのは1本だけ。
 
 

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お昼は小屋に戻って、人生初のカップラーメンでした。初めてのカップ麺が、中国だとは!!
 
 
 
そこから先が、地獄のような登山。最終的には山頂まで行きました。2000メートル(もないかな)級の山頂まで登ったことなんてないので、頂上にいるときだけものすごく達成感でした。来た道が見えるし、日差しは強いけれど風も気持ち良くて、久しぶりにこんな清々しい気分になりました。(※なお帰り道は膝が死んで山小屋から先はリタイアし、車でバスまで送られた人です)
 

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山頂!!最高の眺めでした!!!

 

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2日目は登山で全てが終わりました…。
 
 
 

3日目(8月28日)

 
活動初日に登山で死んできたので、観光とアンズ果樹園の参観だけで植林もなく、とっっても楽な1日となりました。
 
 
懸空寺は切り立った岩壁に建つお寺。高所恐怖症の人には残酷な観光地。わたしは高いところが大好きなので楽しみましたが、柵が腰より低くて、簡単に飛び降り自殺とかできそうだなあとか物騒なことも考えていました。
 

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そこまで有名な観光地ではないと思っていたのに、とにかく混んでいた。当然中国人も多いからなのですが。
 
 
アンズ果樹園。ここでも記念植樹をする予定だったのですが、そんな予定はいつの間にか消え去り、見学だけ。
ここでもやはり崖っぷちがあり、柵も何もありませんでした。日本なら柵とともに「自殺予防のための電話番号」とか書いてありそうなのに。
 

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アンズの種をもらって、みんなでバリバリかじって食べました。塩味がきいてて美味しい。
 

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そのあとは、農村訪問とかいう予定もなくなり、次のホテルへ直行。大同市大同県、中心地のホテル。
 
今度のホテルは最高でしたね。シャワーに仕切りがある(涙)←当たり前
 
 
ホテルに着いてから夕飯まで時間があったので近所を散歩しました。もちろん大学の引率者の人とともに。
 
観光用に作られたと思しき城壁を見に行く途中の公園で見つけた銅像を見て、
 
ここ大同は、北魏の時代に首都だった(当時は平城と呼ばれてた)地なんだと思い出しました。
教科書で学んだだけでは実感もわかないけれど、実際にその地に行ってみるってのは大事なんでしょうね。その土地に歴史っていうのはちゃんと残っているから。語学を学ぶ人も歴史を学ぶ人も、留学に行くのはそういうわけ。
 

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拓跋宏、と書いてある像
世界史で習った拓跋氏の名前を思い出しますね

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夕食後、ホテルの隣にある文化活動中心(中心=センター)に、歌舞を見に行きました。なんでも、大同市総工会の副主席の方が監督を務めているからだそうで(よくわかってない)。
だから、タダで見ることができました。歌と踊りと派手な音楽と衣装で、恋愛物語を描いたものでした。テレビで生放送されていたようで、写真撮影も自由。
 
 

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見たのは、この写真にもある「想親親」というもの。
 

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想像以上に楽しかった。でも夜8時からの公演で、帰りが遅くなってしまい、眠かった…
中国に来てから疲れすぎて12時前に寝るのが普通になって、ホテル戻ったら寝落ち寸前でした。
 
 
前半戦が濃すぎて、とりあえず3日目までを前半とします。
 
これからまた部活の合宿があるから忙しいけど、後半もちゃんと書くつもり。
 
 

留学ラッシュの時代に生きる

海外に行くことは、今や珍しくない。
その目的も旅行や留学、語学研修やボランティアなど、さまざま。
 
 
特に留学に関して日本人は内向志向が強いと言われることもあるみたいだけど、わたしの周りでは決してそんなことはない。
 
友達でも先輩でも、高校で海外に行ったことがある人はたくさんいるし、高校卒業後イギリスやオーストラリアに進学した人もいるし、大学でイギリスに一ヶ月ほど行ったり、カナダに半年留学しに行ったり、スウェーデンに一年間行っていたり、ボルネオ島にボランティアに行ったり。
 
 
行きやすい短期の語学研修くらいが多いけれど、その参加者の学科もバラバラで。英語を専門とするわたしは当然ながら、一介の総合大学のあらゆる学科の学生が、語学研修に行くくらい、海外に行くのは当たり前の時代になったんだなあと思う。
 
 
かくいうわたしも高校でオーストラリアに行き、大学一年でイギリスに一ヶ月留学し、今年の夏は中国にボランティアに行く予定だ。来年もまだドイツに行きたいなどとほざいているのだが。
 
 
一週間ほど、北京の近くの大同という都市近郊で、植林活動をするというもので、参加者は学生から80代くらいの男性までいる、幅広い年代が交流できるボランティアなのである。
 
 
事前研修で60代くらいのベテランの男性とお話しする機会があったのだが、その方はわたしたち若い世代が海外経験が豊富なことにとても驚かれていた。
 
 
しかしその方もまたすごい経験の持ち主で、人生初の海外が、大学院の研究のために行ったケニアだったというから驚く。行くのも船で丸一日がかり、ご両親も泣いて止められたとか。
 
 
最初に行ったのが言葉も全く通じないケニアだったから、その後の海外渡航が屁でもなくなった、と笑っていた。
 
 
当時海外に行くとはそんなすごいことだったのに、今では気軽に行く人が増えて、本当に珍しくもない。
 
っていうと味気なく聞こえるけど、本当に周りじゅう海外行く人ばっかりなの!!
本当に「またか」ってなっちゃうの!!悪いけど!!
 
 
世の常だけど、やはり当たり前になると価値を感じにくくなるから、わたしは海外行くにしても少しでも人と違う経験がしたい、と今回の中国行きを決めた。普通の旅行では到底行けないような農村にも行くらしいから。
 
 
留学をしたってたいていの人はそこまで英語ペラペラになるわけでもないし、留学って語学を学ぶためというより異国の空気を感じるために行くべきじゃないのかなって。
 
 
語学だけなら国内でも学べるし、もちろん専門を学びたいっていう留学もあるけれど、異文化体験っていう意味が一番大きいんじゃないかと思う。
 
 
留学と聞くと明治初期の命がけで勉強しに行った日本の留学生を思い出すのだけど、
 
 
あまりに気軽に行けすぎるようになって、今の日本人にそこまでの覚悟があるとは思えないし、国のために命かける必要もないし。
いろんな国で生活するっていう経験によって身も心も鍛えることに意味があるんだろうな。
 
 
海外が当たり前になった時代だからこそ、その経験を人とは違うものにしたい、って意識が働いている今日この頃。
 
 
人と同じことは嫌だ、っていうゴーイングマイウェイな精神がここにも。なんてね。
 
 
こんなこと言ってる間に早く中国行きの準備しろって声が聞こえてきそうなので、一旦お暇します笑
事後報告もまた書きまーす
 
 
 
 

人を信じていたい

言いたいことがブログに溢れている。
 
諸事情あって他ではなかなか言えないことだから。
 
 
わたしは、人間不信を公言していた頃があった。
 
これもやはり中高時代の友人の影響が大きく、友達だと思っていた人がある日突然手のひらを返したように冷たい態度を取ってきたことに悩んでいたら、
 
「人を見たら泥棒と思え」
 
という言葉を友人に教えられた。
 
 
そうか、人を信じなければ傷つかずに済むのか、とその頃のわたしは思い込んだ。ごく一部の親友を除き、他人は信用しないという信念が変わることはなかった。基本的に人が嫌いだった。
 
 
でも、どこかお人好しなところがあるわたしは、やっぱり人を信じていたい、という甘えにときどき身を委ねてしまう。
 
 
というか、恋人までできて「信用できない」とか言ってられないから!!
 
信頼なくして恋愛とかできないから!!!
 
 
先行き不透明な恋愛に突入して、一度は人間不信が解消され、脳内お花畑状態のおかげかみんなが好きになった時期がある。
今までのわたしには考えられないことだった。
 
 
かくして二度失恋した。
人間不信が再発した。
 
 
それでも、絶望のどん底にいたわたしに、友人たちはそれぞれに形は違えど救いの手を差し伸べてくれた。
 
ありがたい、と思った。困ったときに助けてくれる友人ほど大切なものはなかった。
 
 
 
恋愛依存症とか自称しながら、いざ身を任せようとすると不安が爆発してしまう自分は人間不信というよりは多分恋愛不信。
 
 
好きだよ、愛してる、と言ってくれる言葉の裏には、何が隠れてるの?という疑いの目を完全に捨てられることは多分、一生ないんだろうな、と思う。
 
 
信じなかったら始まらない? でも信じることによってあと何回傷つくのか、って考えたら恐ろしくない?
 
それを気にしてたら何もできないんだよね。傷つくことに慣れないと生きていけない。
 
こうしてメンタル瓦は強度を増していくわけだけども。
 
 
優しい言葉を並べ立てておきながらあっさり人を斬って捨てるような人は信頼をなくすってわかっているから、せめて自分は人を裏切るようなことはしない、と決めている。
 
騙すくらいなら騙されるほうがマシだし、振るくらいなら振られるほうがマシ。
 
 
 
 
 
もっと人を信じてみようよ、と心の声がする。
 
これでも、信じていたいんだよ。
 
でも、どこかまだ不安。
 
多分それは、まだ自分が未熟な証拠。
 
 
 
 

弱者が生きやすい世の中ってなんだろう

以前も書いた通り、わたしは8月頭にウイルス性胃腸炎と診断された。
その後、風邪をひいた。珍しく、長引いて今もまだ多少引きずっている。
 
 
寝込んでいると症状自体は良くなるのだけど、体力は落ちるし気力もなくなるし、心の健康にはよろしくないなあ、と思った。
 
 
自分が体調悪いと、身近な人たちの苦しみが少しだけ、わかるような気がした。
 
身近な人たちというのは、精神的に様々な苦しみを抱えたり、体が弱くてなかなか思うように生きていけない友人などのこと。亡くなった兄も含まれている。
 
 
 
もともとわたしは体が丈夫なほうで、風邪で学校を休むことはまれだったし、甘やかされた末っ子の人生で生きるのに支障をきたすほどの苦しみはなかった。ごく一般的な生活ができていた。
 
 
故に、精神障害に対する理解もなく、兄が精神科に通っているらしいことを知ってから、兄は軽蔑の対象だった。
中学、高校時代のわたしが将来の希望に満ち溢れていた頃、夢も希望もない、口数も少ない、薄暗い顔で自分を卑下することしかない兄のことが嫌いだった。
 
 
数年前に兄が亡くなったときも、驚き悲しみはしたが、なぜここまで家族を追い詰めることをしたのだろうと、責める気持ちさえあった。いつかこうなるんじゃないかと、心のどこかで思っていた自分を認めざるを得なかった。そのくらい、心の狭い人間だったのだ。
 
 
しかし兄の死後、両親の心痛は悲惨なものだった。兄が死んだということより、両親が悲しんでいることのほうが辛かった。
 
 
そして大学生活の中、周りには似たような人が何人もいることを知った。不安神経症自律神経失調症パニック障害…など様々。
 
 
ある友達の自殺未遂を止めたとき、後に「命を助けてくれてありがとう」と言われた。そうか、わたしは人の命を救ったのか、と頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。子供に先立たれた親の気持ちは見てきたから、そんな思いを親に味わわせてやるな、の一心だったから。
大学一年の夏であった。
 
 
そうした出来事以来、わたしは生きるのが辛い人をどうやって助けられるか、考えるようになった。真面目に心理学を学ぼうかとも思った。これ以上身近な人に死なれたくないという一心で、何度も友達の相談に乗ってきた。だって友達は皆いい人ばかりで、多少障害を抱えているということ以外、何も特別なことはない人たちなのだ。むしろわたしよりも友達が多かったり、楽しそうにしていることさえある。
 
 
それでも、わたしは医者でもカウンセラーでもなく、友達として支える限度があることを突きつけられた。最初は根気よく話を聞いていても、同じ話が幾度も繰り返されると、正直素人のわたしにはイライラしてしまうし、新しい解決策も提示できなかったりする。
 
 
どうしたらいいのか、行き詰まることばかりだ。何もできない自分に嫌気がさすこともある。
 
 
むしろ、人を傷つけてばかりの自分がいる。
 
 
そんなこんなで結局、普段は何もできずに、本当に困ったときだけ、生きていいんだよと、寄り添って励ますことしかできない。
 
 
それでいいのかな。
 
 
一応健康なわたしですら将来に不安ばかり抱える世の中なのに、もっと大変な思いをしてる人たちが生きていける場所は、あるのかな。
 
 
偽善だと思われるかもしれないけれど、相模原の障害者施設の事件を見て、少なくとも誰も死んでほしくないし、死ぬべきでもないと、思うのは確かだ。
 
 
身近に深刻な状態の人がいないと、他人事になってしまうのだろうけど、世の中には少なからず苦しみを抱えた人がいるということ、その人たちにも大事な家族や友人がいること、生きていてほしいと思っている人がいることだけは、知ってほしい。
 
 
世の中に、もっと優しさがあればいいのに。
 
 
 

メンタル強いのはいいことなのか

わたしは、メンタルが強いとよく言われる。それはもういろんな意味で。
 
小さい頃から、親に叱られてもどこ吹く風だったらしい。全然こたえなかったから叱り甲斐がなかった、とも言われたくらい。
 
実際少しはしょげていたけれども。
 
 
自分では結構落ち込んでいるつもりでも、周りから見るとそうでもないらしい。立ち直りが早いともいうか。
 
切り替えが早いんだろうな。
 
悩んでも仕方ないと思えば、あっさり割り切って次へ進めてしまう。
 
 
最近になってときどき、その強さを自覚したとき、自分でも怖いと思うことがある。
 
 
 
以前、ある人に言われたことがある。
 
メンタルが強い人は、それが弱い人のことを理解できないんじゃないかと。なんでそんなことくらいで悩むんだと思われそうだ、と。
 
 
そのときは、そんなことはない、と思った。メンタルが強いことはイコール人の器の大きさだと思っていた。
自分のことで悩んでいたら、他人の悩みや相談を聞く余裕もないだろうから。人を受け入れるための強さだと。
 
 
と、本気で思っていた。
 

 

それが今になって揺らいでいる。
 
 
結局、自分が強すぎて人の痛みなど分からなくなっていたのではないか、という罪悪感に苛まれた。
 
 
よく、先生になるにも勉強が得意だった人よりも苦手だった人の方が適する、という。勉強ができない人の気持ちがわかるからだろう。
 
 
それと同じで、人の気持ちに寄り添うためにも、メンタルが強すぎるのも良くないのだろうと、うっすら思わざるをえなくなってきた。
 
 
 
一応言っておくと、昔は自分ではメンタルは弱いと思っていた。
 
 
小学校時代のいじめに始まり、中高時代の孤立、受験のとき危うく浪人しかけたことや、立て続けに起こった祖母と兄の死、失恋、
 
どれも、そのときは人生が終わるんじゃないかと思うくらいに、泣いたし、動揺した。
 
 
様々な苦労を経て、強くならないと生きていけない、と気づいて、そうならざるをえなかったのだ。
 
 
結果として、ちょっとのことでは動じない、メンタル瓦並みの人間になってしまった。
(最初からそうだったのかもしれないが、その自覚ができた。)
 
 
おそらく、メンタルが強い人や何事にも動じない人でも、最初からそんな強い人ってそういないと思う。
生まれつき肝が座った人もいるかもしれないけれど。
 
 
思考整理のためにこの記事を書いていたのだけど、メンタルが強いのがいけないのではなくて、必ずしも強くなれない人もいることを、忘れちゃいけないんだってことなんだろうな。
 
 
人の気持ちに寄り添うって、難しい
 
 
そんな二十歳の夏
 

 

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禍のもと

 

小さい頃から、わたしのおしゃべりな口から出てくる言葉の数々は、いつも不穏なこと招いてきたらしい
 
 
要らぬことを言っては怒られ、余計な口を挟んでは白い目で見られ、空気を読めと言われ、それ本気で言ってるの?と驚かれ、毒舌を吐いては実は人を傷つけていたり
 
 
口に出す前に3秒考えろ、と散々親に言われ続けて早20年
 
 
口は禍のもと、ということわざがぴったりだ
 
 
 
 
ただでさえ問題でしかなかった口は、ひねくれた性格とともに成長するにつれてますます手に負えなくなった
 
 
中高時代の友達の影響で、毒舌クールなキャラを自分のものとするようになった
 
 
ときには度が過ぎて、「友達にそれは言い過ぎだよ」と笑いながら宥められることもあった
 
部活の友達とやりあって、顧問にもわざわざ呼び出されて「さっきのは言い過ぎじゃない?」と穏やかに言われ、自分が認めてもらえないのだと、悔し泣きしたこともあった
 
 
笑って済まされる毒舌キャラだけならまだしも、いつしか本気で人を批判する方向へとシフトしていたのはいつ頃だったか
 
 
傲慢にもほどがあるだろう
 
何様だと思っていたのだろう
 
 
 
いつからだろう、こんなに人を傷つけることしかできなくなったのは
 
人を傷つけたくないとか言いながら、一番傷つけていたのは誰だ
 
 
散々親からも注意されていたのにどこ吹く風で聞き流し、結局その報いを受けるのは自分。
 
自己嫌悪でそろそろ死にそうだ