『高慢と偏見』をついに読了!
タイトルの通り。
こんな本を読んでみました。
この表紙を見て小説だとわかってくれた友人がいたためしがないのですが、れっきとした小説、それもイギリスの有名な古典文学の一つです。
原題はPride and Prejudice、邦題に『自負と偏見』なんてのもあります。
作者はジェーン・オースティン、女性作家です。英文学をかじったことのある人なら絶対知っているはず。
知らない人も、シェイクスピアの名を聞いたことがあるならオースティンも聞いたことがあってほしい、と勝手に思ってます笑
かくいうわたしも、英文科なるところに所属していながら、こういった英文学には一切興味を持てずにいたのですが。
(ちなみに完全な「英文科」ではないので文学をやらずに他の分野で卒論書いて卒業することももちろん可能です)
映画にもなっていて、わたしは授業で映画を見たのがきっかけで、この本にどハマりしました。
その映画のタイトルでは「プライドと偏見」と題されていますね。
これはほんとおすすめ!原作とは違うところも多々ありますが、だいたいの流れをつかんでストーリーを楽しむには最適。音楽もきれいだし、何度でも見たくなる作品です。初めて見たときも、画面に食い入るように見入ってました。なおわたしはすでにツタヤで借りて3回見ました!!
ジェーン・オースティンの作品はどれもハッピーエンドになっている(らしい)し、あらかじめストーリーがわかっていたほうが本にもとっつきやすいと思うので、ここではネタバレは気にしないことにします。
まずどういう小説なの?
恋愛小説です。
こんな堅そうなタイトルなのに。
物語の舞台は18世紀末のイギリスの片田舎。中流家庭であるベネット家の5人の娘が登場します。
中でも中心になるのは長女のジェインと、次女エリザベス。この2人はまともなのですが、母親と妹たちはあまりに品がなく、母親のベネット夫人は娘たちに良縁を見つけることしか頭にありません。かろうじて良識のある父親も、事なかれ主義。娘たちを野放図に育て上げました笑。
そんな家族に辟易する上の娘2人の、恋愛事情が事細かに描かれています。
彼女らの家の近所に、ビングリーというお金持ちの青年が引っ越してきたところから、物語は始まります。
好青年のビングリーとは対照的に、彼の親友ダーシーは陰気そうな印象。
ジェインとビングリー、エリザベスとダーシーという組み合わせで、様々なすれ違いや身分が違う苦労などを経て、次第にお互いの距離を縮めてゆくのです。
なぜこのタイトルなのか、それは読んでみればわかります。もしくはあらすじ検索すれば一発で出てくるでしょうが。
ハッピーエンドなのであとは言わずもがな。
見どころ
この本の特徴としては、平凡な家庭生活を舞台としながらも、かなり変化に富んだ恋愛物語を織りなしているというところ。登場人物の描写がとてもわかりやすいです。
この本で一番すごいなあと思ったのが(ここが一番書きたかった)、クライマックスのあたり。長女ジェインと次女エリザベスが二人とも立て続けに婚約を結ぶ場面。
実はこの辺り、結婚とか婚約とかいう「それらしい」言葉を一切使わずに、二人の婚約が表現されているんです。
陳腐なプロポーズの台詞に頼ることなく、一見どこがその「決定的な瞬間」なのかわからないほど、緻密に描写されていました。
わたしみたいな大ちゃく者が途中でちょっとハッピーエンドの結末を先読みしようにも、「決定的な瞬間」がすぐに目に入ってこないので、たやすくネタバレすることもありません笑
ただ、登場人物の分かりやすい台詞ではなく、客観的な言葉だったり長ったらしい重苦しい台詞の数々で物語の重要な場面が細々と(延々と)語られるため、気楽に読みたい人には結構重たいのかなあと。でも、安直な台詞だけで済まされる恋愛物語ではないからこそ、厚みのある読み応え満載の一冊だと思うのです。
わたしが映画から入ったせいかもしれませんが、ストーリーの流れや人物像があらかじめつかめていると、多少難解な文章もそこまで苦にならず読めると思います。
実際、最後のほうはオチも分かっていたし、文体にも慣れてきていたので、ページをめくる手が止まりませんでした。続きが気になって気になって。
7月頃に初めて手にとって、途中で挫折しかけたとは思えない勢いで、読みきりました。
読み終えてみて
英文学なんて興味なかったのに…一冊全部読み切るなんて…!!と感無量であります笑
オースティンの他の作品も読んでみたくなりました。『分別と多感』とか『エマ』とか。
もちろん映画や日本語の本で慣れたあとは、原書も読みたい!!相当大変だろうけど。
それと、これを違う人の訳で読みたいとも思う。
日本語が直訳すぎるというか、原文を読んでいないからわからないけれど、もっと自然な日本語にしたいなあとか思ってしまうんです。
今までにも何冊か借りて冒頭だけ比べてみて、これは!!という訳に出会ったことがありません。時代が古いから、どうしても会話の口調とかは馴染まないってのもあるんだろうけどね。
一気にジェーン・オースティンのファンになってしまって、イギリスにあるHouse Museumにも行きたくなってしまったり。
www.jane-austens-house-museum.org.uk
挙げ句の果てに、今まで眼中にもなかった英文学のゼミもいいかなとか思い始める始末。
…って
ゼミガイダンスもうすぐなんだけ
ど!!!
決めらんないんだけ
ど!!!
どうすんだこ
れ!!
以上、ジェーン・オースティン=フィーバーでした!!ぜひ本やら映画やら見てみてね!!
国会図書館に行ってきたよ!
はい、その名のとおり。初めて国立国会図書館に行ってきたんです。
目的は、授業で参考にしたい本。
Google scholarで検索に引っかかった学術書で、一部をネット上で閲覧することはできました。
しかし全部読んでみたいと思っても図書館になく(常用している区立図書館二つと大学図書館)、調べてみてもどの店頭にもなく、Amazonか紀伊国屋で取り寄せればちょっと高いけど購入できる、くらいのレア度の洋書でした。
すぐに買うことも考えたのですが、5000〜6000円もする本を実物も見ずに買うのは、さすがに抵抗があり、国会図書館の書庫に所蔵があるのを確認し、思い立ったらなんとやらで翌日すぐに、永田町にひとっ走り行ってきたというわけです。
ちなみに友達で国会図書館がどこにあるか知らない人がいてビックリでしたよ…
「なんかすごそうな図書館…新宿にあるの?」とか聞かれて。笑
永田町はわたしの母校がご近所にあるので馴染みのある土地でした。
でも国会図書館は初めて!
イメージとしては、薄暗くて物々しそうな建物(ハリーポッターにでも出てきそうな)だと思っていました。
いや実際は普通(というには立派だが)の建物でしたよ。とにかく敷地が広い。
人気のない官庁街の歩道を永田町駅から歩くこと数分、やはりだだっ広い門があり、そこが利用者入り口。
本館と新館があり、利用者登録がまだの人は、まず新館に行って利用者登録をするようです。
利用方法をざっと説明
入り口を入ると申込書を渡され、必要事項を書いてカウンターへ。番号札をもらって少し待たされましたが、10人ほどのご新規さんが次々と登録を済ませ、利用者カードをもらっていました。
わたしも呼ばれて、カードを渡され、利用の注意事項の説明を受けて、あっさり登録は完了。
かっこいい〜
さてここからが大変。全く初めての未知すぎる世界ですから、どこから手をつければいいかわからない。
入館用のゲートはすぐ見つかり、警備員さんにロッカーを案内され、手荷物はコインロッカーに預けました。
中に持ち込めるのは透明な中の見える入れ物に入れられるものだけ。
大学図書館と同じようにカードをゲートにタッチし、中に入ります。
資料を手に入れるまで
検索するにはパソコンを使うのですが、ここでも利用者カードをカードリーダーに置く。
トップ画面が開くので、検索し、本の詳細ページから「閲覧/貸し出し」をクリック。
書庫にある本は貸し出しはできないので、閲覧だけ。にしても書庫から本を一冊取ってくるだけで「所要時間20〜30分かかります」って長すぎぃ
わたしの目当ての本はそこまでかからず、15分ちょっとで来たのですが。
資料到着のお知らせも、画面に表示されます。別の端末からでも、カードを読み込ませればすぐに情報が見られる。いちいち番号やらパスワードを入力しなくていいところだけは、効率的。
それを確認したら、図書カウンター(雑誌なら雑誌カウンター)へ本を受け取りに行きます。
ここでもまたカード。カウンターのすぐ向こうには、テーブルがあって、そこに書庫から持ってこられた「利用者待ちの本」がずらりと寝かせて並べてあるんです。
やっと本きたー!!!と受け取って、手にとって、閲覧室でようやく座って本をじっくり見られたときの感動、いや感激といったらもう。
わたしがこのとき借りた本は洋書にしては珍しいハードカバーで(だからあんなに高いのか…)、手にずっしりと重く、持っているだけで、心が満たされるような気分でした。
しかもレア度高いし書庫に眠っているだけあって、新品同様のきれいな本でした(出版年は割と最近)。
しかし!感動に浸っている場合ではありませんでした。
午後から授業のわたし、そして昼休みに部活の集まりがあるわたし、のんびり本を読んでいる場合ではなかったのでした笑。
そもそも買うかどうか決めるためにざっと目を通しにきたのだし。
ページをめくること20分ほど、もう帰らねばならない時間に。
返却するにもカードいるのかよ!!!
もちろん退館するにもカード(以下略
まとめ
資料を一回請求するたびに20〜30分もかかるとか、多忙な学生にはなかなかしょっちゅう来にくい場所だなあと。
貸し出しはできないから、複写を頼んだりするにもまた時間かかるだろうし、じっくり研究に腰を据えた人でないと活用しきれないんだろうなあ。
広すぎて、限られた時間の中ではとても全フロアを見ることもできず、どこまでどんな空間が広がっているんだろう、ってくらい広かったです。
まあわたしごときの学生がそんなに国会図書館にお世話になることも多くないとは思うのですが。
利用者カードの有効期限は3年だから、大学のうちにもっと活用したい。研究したい。
そんな大学2年の秋。
後日談
で、わざわざ見に行った本ですが、結局買いました。一つの授業のためだけでなく、わたしの興味全般を網羅していたから、どうしても欲しかったのです。
アマゾンで、安いのを選んだら、500円分のギフトカードもあって3700円ほどで買うことができました。
こんな行動力あるときなんて滅多にないし、いい経験になったぞ〜
おしまい。
『読書力』を読んでみた〜読書が必要なワケ
この前さらっと紹介した『読書力』を、ちゃんと読んでみました。
読んでいたら自分でもどうしても言いたいことが溢れてきたから、まだ半分くらいしか読んでいないけれど、気になったところだけをピックアップしてみたいと思います。
この本は、読書習慣が人間の底力を養うためにどれほど大きな役割をもっているか、それをかーなーり熱く語っている本です。
やりたいことがあるって幸せ
夏休み以降、心身ともに体調を崩しがちだったわたしですが、最近生きる気力が戻ってきました!!
まあ自称メンタル瓦なので、闇も一過性のものだとわかってましたが。
何より勉強するのが楽しくてしょうがない。大学の勉強が、ではなくて、自分であらゆる分野を漁ってはかじり、いろんな新しいことを発見するのが、生きがい。
だからこうして、ブログ熱も再発しているし、そのため情報収集に奔走しているという毎日なのです。
きっかけは、こないだやっていた夏休みのレポートにようやく手をつけたときのこと。渋々読み始めた課題図書を読むうちに、やっぱり普段関わらない分野も面白いなあと思うようになりました。
気になって調べだしたら止まらない性分なので、課題の本でもあちこちで立ち止まり、ネットや他の本を持ち出して調べ、キーワードやキーフレーズをメモしetc って感じに寄り道ばっかりするので、課題はちっとも進まなかったのですが。
前々回の記事↓を書くために必要だった情報も、レポートそっちのけで深夜に突然探し出すという有様。笑
でもこの「寄り道」こそが大事なんだと、どこかで読んだような気がします。少なくともわたしはそう思います。
未曾有の(?)情報収集熱にかられて本に埋もれる日々ですが、その中でまた新たに興味を持てることが増えました。
こないだから情報、情報ってしつこく言っているけど、情報収集って面白いんですよ。
ここに書いてあることは正しいのかなって気になったり、どこかで見たことあるなって思ったら、すぐ他のソースに当たってみる。それはネットだけでなく、自分が持っている中高時代から今までの授業関連資料だったり、家にある本だったり、ここブログで得られる情報だったり。
情報、って一口に言ってもいろいろあるんですよね。ちょっとまだ未知の世界だけど、IT関連とかの仕事も悪くないんじゃないかと思ったり(完全に専門外だけど)。
それとたくさんの本を読んで、今まで知らなかったこととかにハッとする体験を繰り返すと、こうして発信したい欲も増す。それは今はブログが一番使いやすいけれど、やっぱり文章に携わることが好きなので、前から考えていた出版業なんかも興味ある。
もちろん専門の英語や、始めたばかりのドイツ語など、言語を生かした仕事なんて憧れ中の憧れだね。
…ちょっと興味ある分野が多すぎて、手をつけきれない!どうすんのこれ!!
ってことで、ありとあらゆる分野を勉強できる公務員あたりが今一番有力候補。
公務員になって何がしたいか、って聞かれるとまだ曖昧なのだけど、試験までの勉強の過程を想像すると、とてもわくわくする(同時に激しく恐怖)。
もちろん大学受験のときみたいに生半可な勉強じゃいけないと思うのですが。
なんかもう勉強中毒だなこれ。でも大学生だからこそできることなんだと思うから、とりあえずたくさん勉強して、経験を積んで、もっといろんなジャンルを扱うより良いブログを目指していきたいのです。
とりあえず、
生きるぞおおお
専門分野、増えすぎじゃない?
大学生として、今回は真面目に大学の学問について語りたい。いや、大学に限った話ではないんです。世の中の諸事情に関わることだと思うので言いたいことを書きなぐるまで。
前回の話とも少し関わってきますよ。
前に、いつだったか新聞でこんな記事を読んだことがあるんです。当時の記事の記録はないのですが、その要旨。
- この半世紀、大学の学部、学科の種類がうなぎのぼりに増えている
- 細かい学科名が例としてあげられていた
- こんなグラフ付きの大きな特集だった
- 現在、全国の学部学科数は数百にのぼる…と。
この記事を読んで親が呆れた顔をしていたのを思い出します笑
環境〜とか情報〜とか社会〜といった学部、なんとかマネジメント学科、コミュニケーション何ちゃらみたいな学科が多すぎて、正直意味がわかりません。覚えきれません。
何をやりたいのか全然見えてこないし、何を研究するの?
そういう学部学科の友人に聞いたところ、所属している学生ですら何をやっているのかよくわかっていないということさえある。
あとは専門学校でもいいような分野まで大学に溢れていて、とにかく大卒資格がないとやっていけないよみたいな今の社会の実態が、おかしいと思うんです。
だから何をするのかわからない見た目ばかり飾った学部学科が増え、何のために進学するのかわからないクズな大学生が増え、大学とは思えないような低レベルの授業しかできない大学が溢れかえっているんだと思う。
大した目的もなく大学生になるくらいなら、さっさと就職して稼いだほうがよっぽど役に立つと思うんだけど。ちなみにこれうちの家族で満場一致の見解です。笑
しかも意味不な学部増やしまくってる一方で人文系学部の廃止ってなんなの?!元祖文学部所属の学生としては、どうにも許しがたい話ですよ。
なんでそれが必要なのかって話は前回もちょこっと書きましたが、やはりたくさんの情報に当たって物事を考えて、文章を書いて、思考力を鍛えるっていう面では欠かせないと思います。
で、情報収集ブーム真っ盛り文系頭のわたしに言わせれば、結局すべての学問や問題は関連性があるんです。だから学問分野の細分化は好ましくない。
よく例にあげられるけど、例えば環境問題一つを取っても、理系の学問や経済とか歴史とか、そういったものが全部ひっくるめてやっと考えられる問題だと思うんです。
もう一つ、わたしが最近驚いた例。
『21世紀の資本』って本が経済書としては珍しいベストセラーになっていましたね。この本の著者のトマ・ピケティ氏がこんなことを言っていました。
「文学は、私にとって大事な情報源です。その時代に生きた人々の身に何が起こっていたのかが分かるからです。(中略)文学は時代を読み解く上でとても重要な資料ですね。」
(これ、うちの大学の経済学部の人たちに言ってやりたかったです)
経済学者が経済を研究するにも、一見関係なさそうな文学が関わってくるんですね。
侮れないなあ。
ちなみに引用元の本はこちら。わかりやすくて面白いです。(ボキャ貧
で、結論
いっそのこと東大みたいに教養学部に統一しちゃえ
って思うんだよなあ笑
もっとも、好きな分野を学べるのが大学だし、細かくしたくなるのもわかるんだけど、もっと幅広く興味を持って、勉強してほしい。一般教養とか基礎教養とか呼ばれる科目もおろそかにしないでほしい。世の人生モラトリアム大学生に声を大にして言いたい。届かないけど。
いろんな分野に首突っ込んで寄り道して道草しながら勉強すると、新しいことが見えてくる、つながりが見えてきて面白いよ!ってこと。
前回と結論ほとんど変わりませんね笑
でも騙されたと思ってちょっと見る範囲を広げてみて、きっと気づくことがあるから
本は読むべき?読まなくてもいい?
先日23日〜25日までの三日間、ビッグサイトにてこんなイベントが開催されていました。
東京国際ブックフェア!行ってきたよ!!
最近本を購入したときにもらった招待券で、入場はタダでした。
世界各国の470社もの出版社が出展するかなり大きなイベントなんです。
しかも本が安い!だいたい20%オフくらいが普通で、ものによってはそれ以上の割引価格で販売されているものもありました。お得。りんかい線の交通費が高いくらい(ボソッ
んで、特に目当ての本があるわけでもなく、あちこちで立ち読みしていたら、こんな本を見つけました。
(ちなみに立ち読みした内容は覚えていても本のタイトルと出版社を忘れていたので、なんとかググって探し出しました笑 もう一度ちゃんと図書館で借りてざっと読みました。)
読書術、とか文章術、みたいな「〜術」系タイトルに弱いので、つい手にとって読んでしまった。
そしたら、後半に、こんな見出しがありました。
「本がすべてではない」「本を読まない人をばかにしてはいけない」
読まなくていいとは書いていない。でも、本を読まない人を擁護しすぎている気がします。
確かに情報に溢れた現代は、本以外にだっていくらでも情報源はあるよね。
ネットとかネットとかネットとか。
その手軽さゆえに、つい本よりもネットが主な情報源になりがちなのは、現代っ子だし、まあわかります。
でも、アナログの良さも捨てがたいわたしは、うーんどうなの?(モヤッ)って思ってしまった。
それは、去年の大学の授業で先生が紹介していたある本が頭に浮かんだから。
(これもまともに読んだことはありませんが、引用は授業で配られた抜粋より)
「本は読んでも読まなくてもいいというものではない。読まなければいけないものだ。こう断言したい」
痛快!!!読書は推奨されこそすれ、強制されることなんてなかったからね。
読書奨励派のわたしがモヤモヤとして言いたかったけどうまく表現できなかったことを、ズバリ指摘しているんです。
齋藤孝さんの本大好き(超有名な著者なので、まだ読んだことない人は、ぜひ手に取ってみてください)。
という本の引用はまだ導入でして
ここからが本題。
わたしが個人的に考える、なぜ本を読んだほうがいいのかという問いに対する答え。
情報に溢れた時代だからこそ、正しい情報を吟味し選択しなければなりませんよね。ネットの情報は信憑性が低いことも多いし、その点本はある程度信憑性がある(と思ってます)。
こういう力を養うために人文系学部があるんだと聞いたことがあります(人文系学部廃止とかいう話が聞こえてきて聞き捨てならないのですが、その話もまた後日することにします)。
ブログでまっとうな意見を書くことに慣れている人は、多分よそのブログとかをたくさん参照して、引用して、自分の意見の裏付けとしていることと思います。
そこらへんはわたしはまだまだですね。他のブログを読む暇がないし、今はちょっとブログ世界を大きくする余裕はないので。少しずつブログのレベルも上げていきたいなあとは思いますが。
大学のレポート、論文なんてまさに同じことをやっているんですよね。
いかにたくさんの本や資料から、正しく有力な情報を集めるか、それを自分の意見の裏付けとするかが重要になってくる。
わたし自身、今ごろ大学の夏休みのレポートを書いているのだけど(遅い)、とっさに裏付けできる情報が思い浮かばないのです。ネットでそのときだけ特定の分野だけ調べても、なかなか浅い情報しか入手できない気がして。
そしてそれはすなわち読書不足が原因だと思っています。最近やたらと情報収集熱が高まっていて、やはりブックフェアに行った影響もあるのか、前よりも多くの本をチェックするようになってきています。
やっぱりいろんな種類の本にたくさん触れていると、思いがけないところで関連した情報を見つけることがある。ここで語りだすときりがないのでやめるけど、本当に数をこなすのはやったもん勝ちですよ!!
ざっくりまとめると、
- 新聞やニュースでもいい、いろんな情報をこまめにチェックしよう
- より多くの情報に当たることで、信憑性を確かめることができる。
- ソース(sourse)は多ければ多いに越したことはなし。
ってことで、本読むのは
面白いよ、おすすめだよ
情報収集って楽しい(これもまた改めて語ります
おしまい。
今できること
最近はなかなかブログを書く手が進まない。
それにはわけがあって、
悩み事が絶えず頭を使うのに疲れてしまったから。
考えすぎて、頭の中がごちゃごちゃになって、思考がまとまらなかったから。
もはや何を考えるべきなのかもわからなくなって、思考を投げ出してしまっていたから。
ことの発端は、先日行ってきた5泊6日もの部活の練習合宿。合宿中、あまりにも大きな問題がのしかかり、同期で何度も集まっては話し合い、会議、会議…と気が休まることがなかった。
先の見えない解決のめどが立たない問題ごとに、気が遠くなった。
普段は人前で泣くことなどないのに、今回ばかりはことの重大さや精神的苦痛に耐えきれず、不安や恐怖を抑えきれず、何度も泣いた。
酒に酔った勢いで、相談に乗ってくれた先輩に泣きついた。
同期との会議の中で、あまりのやりきれなさに、友達と共に大泣きした。
部活の仕事で先輩たちの部屋を回っていたとき、廊下で涙がこらえきれなかった。
泣き疲れて、練習の合間は部屋でぐったりするしかない6日間だった。
個人的な事情を除き、短期間にこんなに涙を流したのは、初めてかもしれない。
どうしてここまで情緒不安定になってしまったのか、わからない。
わたしが泣くたびに、先輩も同期も、常にわたしのそばにいて、全力で支えてくれた。
これほど親しい仲間がありがたいと思ったこともない。
でも、一方で信頼していた仲間が離れていってしまうこともある。
その事実がなかなか受け入れられない。
高校のときにも似たようなことはあったけど、それとこれは少し違って。
信じていたからこそ、その信頼を裏切られてしまったのが、悲しくて、悲しくて。
昔からわたしは時間を要する問題ごとが、苦手だった。
今も保留期間のような感じになっていて、何もできない時間を、呆然と過ごしているしかできず。
瓦メンタルと自負していたけれど、瓦は一度割れてしまうと、立ち直ることができないみたい。
今回は大きな衝撃が三発くらい立て続けに加わったから、ポキンと折れてしまったみたい。
思考整理のためと思ってブログを書いてみたけれど、考えはまだまとまらない。
食欲はないし、食べても気持ち悪くなるし、痩せてく一方だし、ふとしたときにもまだ涙がにじむ。
心から笑いたいと思っても笑えない。作り笑いが限度。
精神を病むというほどではないけれど、普通に元気な生活ができるようになるまでには、まだちょっと時間がかかりそう。
毎日を生きるのが必死。
こんな貧弱に成り下がってしまったわたしだけど、やりたいことはちゃんとある。
今の生きがいというか、目標は、ドイツ語の勉強。
専攻であるところの英語よりも、頑張ってしまっている。
来年ドイツに行きたいという夢は、捨てちゃいない。
今日から大学の後期の授業も始まり、前期の成績はもはやどうでもいいのだけど、ドイツ語の勉強と、後期から始まる翻訳演習だけは、ちゃんとやりたいんだ。
また心から笑える日が来るまで、ちゃんと生きるよ
どんなに辛いことがあっても、部活も4年間続けるよ
わたしを認めてくれる人がいるのを、知っている
今できることをやりながら、生きるよ
それだけ。