人を信じていたい
言いたいことがブログに溢れている。
諸事情あって他ではなかなか言えないことだから。
わたしは、人間不信を公言していた頃があった。
これもやはり中高時代の友人の影響が大きく、友達だと思っていた人がある日突然手のひらを返したように冷たい態度を取ってきたことに悩んでいたら、
「人を見たら泥棒と思え」
という言葉を友人に教えられた。
そうか、人を信じなければ傷つかずに済むのか、とその頃のわたしは思い込んだ。ごく一部の親友を除き、他人は信用しないという信念が変わることはなかった。基本的に人が嫌いだった。
でも、どこかお人好しなところがあるわたしは、やっぱり人を信じていたい、という甘えにときどき身を委ねてしまう。
というか、恋人までできて「信用できない」とか言ってられないから!!
信頼なくして恋愛とかできないから!!!
先行き不透明な恋愛に突入して、一度は人間不信が解消され、脳内お花畑状態のおかげかみんなが好きになった時期がある。
今までのわたしには考えられないことだった。
かくして二度失恋した。
人間不信が再発した。
それでも、絶望のどん底にいたわたしに、友人たちはそれぞれに形は違えど救いの手を差し伸べてくれた。
ありがたい、と思った。困ったときに助けてくれる友人ほど大切なものはなかった。
恋愛依存症とか自称しながら、いざ身を任せようとすると不安が爆発してしまう自分は人間不信というよりは多分恋愛不信。
好きだよ、愛してる、と言ってくれる言葉の裏には、何が隠れてるの?という疑いの目を完全に捨てられることは多分、一生ないんだろうな、と思う。
信じなかったら始まらない? でも信じることによってあと何回傷つくのか、って考えたら恐ろしくない?
それを気にしてたら何もできないんだよね。傷つくことに慣れないと生きていけない。
こうしてメンタル瓦は強度を増していくわけだけども。
優しい言葉を並べ立てておきながらあっさり人を斬って捨てるような人は信頼をなくすってわかっているから、せめて自分は人を裏切るようなことはしない、と決めている。
騙すくらいなら騙されるほうがマシだし、振るくらいなら振られるほうがマシ。
もっと人を信じてみようよ、と心の声がする。
これでも、信じていたいんだよ。
でも、どこかまだ不安。
多分それは、まだ自分が未熟な証拠。