たまごのかけら

広く、深くを目指す雑食系ブログ

『読書力』を読んでみた〜読書が必要なワケ

 
 
この前さらっと紹介した『読書力』を、ちゃんと読んでみました。
読んでいたら自分でもどうしても言いたいことが溢れてきたから、まだ半分くらいしか読んでいないけれど、気になったところだけをピックアップしてみたいと思います。
 

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この本は、読書習慣が人間の底力を養うためにどれほど大きな役割をもっているか、それをかーなーり熱く語っている本です。
 
 

 

まず内容に入る前に、この本を読んでいたときの小話をちょこっと。
 

友人に「その本なに?難しい?」と聞かれたのです。

内容を聞くより先に難しいかどうかが気になってしまうのか…?
有名な著者だよ(去年の必修の授業で紹介されていたよ笑)と表紙を見せたのですが、斎藤孝のことも知らなかったし。
 
「それ趣味?」もちろん
「えーすごい、何でふせん貼ってるの?」んーブログ書くため?
「へぇ〜すごいね」(う、うん)
 
「楽しい?」と聞かれたときは「楽しいよ」と返しましたが。なんなんだこのやりとり。
 
 
本を読んでいるだけでこんなに意外そうな顔されるの解せないし
他の友人には何それ〜!!とか馬鹿にされたような気分になる騒ぎ方をされてとても不愉快だったし
本を読むとかありえない、別世界(笑)、とかいう扱いもやめてくれ(切実)
 
 
人前で読書をするのがこんなに不愉快な気分になるのが大学というものなのか…?と思いながらも構わず一人の世界を楽しむわたしでしたが。
 
 
 
前置きはさておいて、
読めば内容はわかりやすいので、その中で特に私が心を打たれた「引用」を紹介したい。
 
日本には聖書のような唯一絶対の本、すなわちthe Book of Booksがないから、たくさんの本を読む必要があった
 
これは非常に興味深い観点だなあと思いました。
 
 
日本人は諸外国と比べ、唯一絶対の本を持たなかった。だから雑多な本から知識を得たり世界を広げたりしていた。とすると、単一民族で内向志向の強い(と言われる)日本人も、十分幅広い視野を持っていると言えるはず。
 
しかし、それを支えていた読書習慣がなくなると、日本人は何をもってして視野を広げるのか。世界を広げるのか。
 
唯一絶対の聖書しか読まないような国でも、日本とは違って多様な人種や文化が入り交じる国は多い。必然的に多様性を受け入れる「体力」は身につくと思う。
 
しかし単一民族といわれ、いささか多様性に欠ける日本が、唯一の支えであった読書をやめてしまったら、何が残るのか。何も残らないだろう。それが今の日本の実態ではないか。
 
外国へ出ていこうともせず、本も読まず、何を見て生きているのか。
 
グローバル化だとか言ってはいられない事態ではないだろうか。
 
…なんてことを読みながら考えずにはいられません。
 
 
 
少し話はそれますが、我が家は「サブカル」に縁のない家庭でした。
親子共々クラシック音楽に、読書に、絵を描いたりすることを楽しむ家庭でした。ゲームを一度も買ってもらえない家でしたし、子どもの頃は多少不満はあったものの、いつしか自分の家の文化を素直に受け入れて楽しむようになっていました。ゲームや漫画やアニメには、全然興味がなかった。そんな環境で育ったせいか、
 
つい最近までは「そもそもサブカルってなに?」ってレベルで。
 
サブカル(サブカルチャー)とは
 
主流の文化に対する、少数派に支持されている娯楽・趣味文化のこと。主に少数派(マイノリティ)によって形成されると言われているが、実際は多くの現代の若者たちサブカルチャーを支持しているようである。(はてなキーワード
 

ある社会を支配する正統的・伝統的な文化に対し、その社会の特定の集団を担い手とするう独特な文化。若者文化・大衆文化・都市文化など・下位文化。 (明鏡国語辞典 第二版)

 
最近ようやくわかってきました。改めて調べてみて、少数派って何?!って思ってしまいました。今や「正統的な」文化のほうが少数派のように見えますし。
 
ともあれ、私にとっては、「サブカル」は世界を知るための一つのヒントとしてちょっとかじるだけのものでしかありませんでした。
 
 
 
いつだったか、こんな話を聞いたことがあります。
 
明治期に小説が出始めた頃は、若者が娯楽として小説ばかり読んでいるのを見て、「近頃の若いもんは小説ばかり読んでいていかん」と言われていたらしい。その小説が今や教養となり、読書の一部として推奨されているのだから、将来は漫画やゲームも推奨される日がくるかもしれない!
 
みたいな感じの趣旨だったはず。(うろ覚え
確かTwitterだったかな。
 
まあ一理あるかなあとは思いましたが。
 
 
難しいものは嫌だ、気軽に楽しめるものがいい、という風潮のもとアニメや漫画やラノベや軽音楽など、若者に圧倒的支持を誇る分野があるのは、認めます。文化の一つとして価値があるのも、わかります。
今や日本のサブカルは世界に認められる文化ですからね。
 
 
でも、だからといって、読書をしないでいい理由にはならないと思うのです。
 
 
サブカルが文化としての価値を認められても、読書を差し置いて推奨されることはないんじゃないかと、思うのです。
 
だって、読書に認められるような効用や役割が、アニメやゲームや漫画にあるとは思えないから。
 
 
私の育った家がかなり「純文化」的な家庭だったから、少し極端な意見だとは思うけれど。
 
 
何度もいうけど、サブカルが悪いわけではないですよ。読書を怠ってはいけないだけなんだって声を大にして言いたい。
 
 
読書しか娯楽がなかった時代に対し、時代の変遷とともに娯楽の選択肢が増えた今でも読書が果たす役割が変わらないのであれば、本は少し無理をしてでも「読まなければいけないもの」って言われるのも過言ではないと思うのですが、いかかでしょうか??
 
 
そういえば参考までに、このブログの最初の記事でも似たようなことを書いてたので、再掲。
 

seventyeight.hatenablog.com

 

ちょっと今回の記事とは主旨がずれますが、言わんとするところは変わっていません。

 

 
 
「だからなんで結局本なんか読まなきゃいけないんだよ💢💢」って思う方は、読書の役割をもっと知りたい方は、私の拙い記事よりぜひこの本を読んでいただきたい。かなり強力に説得された気分になりますよ。
 
 
しつこいけど最後にもう一度。

「本は読んでも読まなくてもいいというものではない。読まなければいけないものだ。こう断言したい」